これから当時のメモ帳を頼りに、病気で倒れた時にさかのぼって記録を書いていこうと思います。
※実母(79歳)の脳卒中からの介護記録です。
22時頃実家で倒れる
夜10時、実家で倒れる。
2階の自分の部屋から下へ階段を下りたところで力尽き、そこで階段に持たれた状態で、携帯でかかりつけ病院に電話したらしい。
そこで受け入れ出来ないと言われ、急いで救急車を呼んで!と言われたらしく、救急車・・・救急車・・・とつぶやきながらもそこで力尽きてたみたい。
階段のすぐわきの部屋で既に寝ていた父が、変な声が聞こえるので起きて発見に至ったようです。
急いで救急車を呼んで病院へ。
その時私はそんな大変なことが実家で起きてるとは思わず、スマホを消音にして別のところに置き、のんきにテレビを見てたんです。
そしたら突然自宅の電話が鳴り響く。いつも間違い電話が多いので電話に出ずにいたんだけど、なかなか切れない。嫌な予感がして、電話取るより前にスマホを見たら、父や旦那から電話が何度も入ってる!!これは何かあったのかも。
慌てて折り返しかけたら母が倒れたと放心状態の父からの声。
最寄りの駅で飲み会に参加していた旦那の方からも電話が入り、家に帰らずに直接病院に行ってみようかと思ってると言うので、とりあえず旦那からの連絡を待ちながら、出かける準備をしました。
24時過ぎに旦那と交代で私が病院へ。2回目のCTの結果、出血は止まっているので手術などはせずに、このまま様子をみましょう。今日はもう帰って下さい。と言われ、私は自転車で。父はタクシーで帰宅しました。
もうなんだかよく分からない数時間。この辺は記憶があいまいなんだけど、父が憔悴しきった感じで、父のことも心配だった記憶が鮮明にあります。
入院直後の先生からの話
この日の当直の先生は、月に一回どこかの大学病院からくる先生でした。
先生の話によると、典型的な高血圧による脳内出血ではないとのこと。
左半身が重度の麻痺状態で、出血の位置や度合いを見る限り、歩いて帰れるのは100%無理。良くて車椅子に乗れる事を目指すぐらいだとハッキリ言われました。
今の時点でここまでハッキリ言うか?
運ばれて来た時は母は会話が出来てたようで、失語はないと先生は断言。CT画像を見ながら、右出血してるので、左にある言語中枢は無事です。右利きだよね?
いえ、左利きです! と言った途端、先生の顔が曇る。
左利きの場合、半々の確率で右に言語中枢がある。でも話していたしな・・・とブツブツ。
とりあえず、出血は落ち着いてるので様子をみましょう。と言っておもむろに立ち上がり、早々に立ち去っていきました。
初めから最後まで家族に気遣う様子もなく、態度のデカイ先生でした。脳外科の先生ってこんな感じなのかな、先が思いやられる思い。
失語症とは
脳には言語に関わる部位があり、その部位を「言語中枢」といいます。
成人の言語中枢は右利きで95%以上、左利きの人は70%以上が左大脳半球にあるといわれています。
言語中枢は、ブローカ中枢とウェルニッケ中枢に分かれます。ブローカ中枢は言葉を発する機能であり、ウェルニッケ中枢は話し言葉を聞いて理解するための機能と考えられています。
ブローカ中枢は話すために必要な運動を発語器官の筋肉に伝達し、言葉として発します。その間、ウェルニッケ中枢は発話に関わる筋肉の動きを監視し、言葉が正しく伝わっているかどうかを確認します。
これら言語に関わる中枢や周辺領域が損傷を受けることによって、”失語症”を発症します。
倒れた後の母に会う
先生からの話が終わってから母に会いに行くと、変わり果てた姿で苦しそうにしてました。
意識はあり、話そうとしてるけどうまく喋れない感じ。話しかけても言葉が出ない。
近くにいた看護師さんに聞いてみたら、運ばれて来た時は確かに話せてたけど、ICUに来た時からは言葉が出てない。
出血も時間と共に広がっていたから、初めの状態から病症が進んでしまった可能性はあると。
左半身麻痺だけでなく、失語症にまでなったら本人どう思うんだろう。家族もやりきれない。
せめて失語症だけでも良くなって欲しい。
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いろんな思いが頭をぐるぐる回りながら、眠りにつきました。
その日の夢は、元気で若かった頃の母が、遊びに来てくれた夢でした。