老後の心構え(雑記)

104歳、安楽死を求めオーストラリアからスイスへ。尊厳死の問題どうにかならないものか・・・。

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オーストリアに住む科学者の104歳のおじいちゃんが、安楽死のためにオーストラリアからスイスに渡ったニュースを見ました。

スイスでは安楽死は合法だそうです。

そして昨日の5月10日に希望通り無事!?に、催眠鎮静薬の投与で永眠出来たようです。

このニュースを見て、長生きは良い事ばかりじゃない。むしろ辛いことが多い。特に認知症ではない頭のしっかりした老人ほど、「なんのために生きてなきゃいけないんだ?」と考え辛い日々を過ごしている。と改めて思いました。

どこに行くにも車いす。眼も見えにくい、耳も聞こえにくい、動くこともままならない。体のあちこちに不調がある。

「94歳で自立した生活ができなくなったことは、人生の大きな転機だった。」

「朝起きて、朝食を食べる。それから昼時までただ座っている。それから少し昼食を食べ、ただ座る。それが何の役に立つのか」

このおじいさんは、数週間前に一度自殺を試みています。だけど自殺に失敗してしまい、娘が手配した精神鑑定を受けるまで、退院させてもらえなかったそうです。

病院のそうした処遇を「残酷」とグッダルさんは形容し、「人に生きる目的がなくなっても、無理やり生き続けることを強いる」と訴えてました。

以前、「人間の死に方 医者だった父の、多くを望まない最期」を読んで、老後にガンで死ぬ利点について考えました。確かに癌だと確実に死ねる。死ぬのは怖いかもしれないけれど、ほどほどの年齢(80歳とか)で癌になって死ぬなら丁度いいのかもしれない。

「人間の死に方 医者だった父の、多くを望まない最期」を読んで考える

私の好きな言葉に、「備えあれば憂いなし」がありますが、今まで自分の死に方なんて考えたこともありませんでした。 でも、ひょんなきっかけから「人間の死に方」という本に巡り合い、70代後半の両親を抱えている ...

もしくは、安楽死(尊厳死)が日本でも出来るようにしてほしい。

これはいろいろ問題も多いことだし、保守的な日本がそんなこと出来るとは思えないけど、このおじいさんのように慣れ親しんだ故郷から遠く離れた外国で尊厳死を迎えるようなことはやっぱり寂しい。

特に、どうしたって死ぬしかない末期癌の人。苦しみぬいてもその先には何もない。

もう一つの著書の「日本人の死に時―そんなに長生きしたいですか」では、末期がんの患者から死を求められて、そうしてあげられなかった末に、その患者の壮絶な最期を見ることになる。読んでて恐ろしくなりました。

どうしてこんなに苦しんで死ななきゃいけないの?自分で死を選択することは出来ないの??

本当に憤りを感じました。

やっぱり、ある一定の条件が揃っていれば、自分で死を選ぶことが出来る。というのが一番自然だと思うのだけど。やっぱり日本では難しいのかなとも思います。

せめて親や自分の人生の最期は、しっかり考えていかないとなと思ったニュースでした。

「日本人の死に時―そんなに長生きしたいですか」・・・死に時はいつか?またまた考える

「人間の死に方 医者だった父の、多くを望まない最期」を読んで、またまた同じ著者の、別の死に方を考える本を読んでしまいました(笑) 著者は終末医療に長年関わってきているので、多くの老人の終末期の例が読め ...

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