昨日は久しぶりにケアマネさんとの面談に参加しました。(いつも日程が合わなかったり、私には話が回ってこなかったり)
今回の私のイライラの原因は、母が歩くことだけに意欲的なこと。それをケアマネに主張すること。
母はまあ脳出血の後遺症で高次脳機能障害があったり、認知症も少し入ってたりして仕方ないと思うんですよ。
自分の状況が理解し切れてないこともあるんだろうけど、2年も経って、身の回りのことをほとんど自分で出来ない。左腕が麻痺してたら、右手と口を上手に使って簡単な洋服ぐらい羽織れるようになってても不思議じゃないのに、初期の頃からそれはやろうとしない。
眼鏡をかけるのもそう。そういう頑張れば手が届きそうな目標にはチャレンジせず、歩く・自分でトイレに行くという大きな目標にばかり固執してる。
ケアマネさんからも、二人になったときに言われました。
「前回、デイケアの方も言ってたけど、自分で出来ることをやろうとしないので少し注意しましたと。お母さん、自分でやろうとしないよね」と。
そしてこれに輪をかけるのが、父です。
周りの他人が母をサポートしちゃうのは仕方ないです。でも父もがっつりとサポートしちゃうの。
前から、「それは自分でやらせないと今後大変だよ!」と私が口を出すと、
「でもママ(母)が可哀想だから、ついやっちゃうんだよ。見て見ぬふりが出来ないんだよ」と、いかにも自分が優しいみたいに言うの。
「それは母にとっても良くないし、自分の首を絞めることにもなるよ!」と、以前からずっと言ってるんだけど、ずっと治らない。自分でやっちゃった方が早いのもあるし、結局は優しさじゃなく面倒なんだというのが分かる。
その証拠に、自分でやれる事を増やすために、少しだけ部屋を模様替えする提案をしても、ガンとして受け入れない。母の為であろうと変化が嫌なんですね。
だから母もしょっちゅうベルを鳴らして父を呼ぶんです。それがストレスになって父もイライラ。母に辛く当たる。その繰り返し。
子育てもそうだった
ちなみに、私を育てる時も、両親はこんな感じでしたね。
一人っ子だから余計手を掛けられるし、なんでもやってくれてた。躾をされた記憶はなく、性格的な面でも相当やんちゃだった私ですが、正された記憶がほとんどない。
小さい頃からそうやって育てば、ろくな大人になりませんよ。実際社会に出て苦労したし、直そうと思っても治らない染みついた性格のようになってしまってる部分もある。(人にやってもらうことが当たり前と自然に感じてしまう)
だから私は娘にそうなって欲しくなくて、出来る範囲で厳しくしながら育ててるつもり。
厳しくするのも、自分でやらせるのも、「可哀想」で片付ける父。
そしてケアマネの前で、「娘みたいにキツくないから、ついやってあげちゃうんだよね。」と、まるで私が酷い人みたいに言うんですよね。
もうね、昔から変わらないな~って。そして似たもの夫婦なので、価値観が一緒だから私一人悪者ですわ。
諦めました
正直、母が歩けることはもうないと思うんです。
自分で立ってられないのに、歩くなんて絶対無理。杖ついて歩くのが目標みたいだけど、それは大きな目標で夢があって良いことだけど、それは83歳の高次脳機能障害の母には無理なんですよ。
でもそれはもちろん言いません。周りも母には言ってません。希望は希望。
ただ、あまりに無謀な要求をするから、ケアマネさんも困ってしまっていて、「まずは自分で洋服を着たり、車椅子に一人で移乗したり、そこから始めましょうか」とスモールステップを言ってくれましたが、そこは上手に聞き流してましたw
ケアマネさんも優しいから、もっとしっかり言って欲しくてもなかなか言えないんですね。
母の希望は痛いほど分かるけど、そこだけを求めてアレコレ要求してくる母を見ると、もう諦めるしかないかなって。
私だけ頑張っても意味ないし、もう何でも人にやってもらって父に過度な要求して、父もイライラして共倒れになっても仕方ないや。
二人とも80歳を超えた老人だし、好きにやればいいと思う。
共倒れも受け入れる気持ちが出来たら、私ももう口うるさく言うこともなし。
なんかまだ心の中がモヤモヤするけど、母のことも父のこともあきらめよう・・・。その方が平和だ。