実母(79歳)の脳卒中からの介護記録です。
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入院24日目
珍しく父が長く病院にいたと思ったら、寝ていた母が起きてからはずっと泣いていたと。
自分の体を嘆いて泣き、孫の行く末を嘆いて泣き・・・今日は「怒る、笑う、泣く」の内、泣くモードが強かったらしい^^;;
そんなことを聞いたもんだから戦々恐々としながら夕方私が病室を訪ねると、私の顔を見た途端、早くも泣きモードになってます。
「kaboちゃんはどう?kaboちゃんが不憫で不憫で・・・」と声を出して泣く母。こんな母初めて見ました。
泣きモードのなってるのは父から聞いて覚悟していたので、あっけらかんと「kaboちゃんは大丈夫だよ。超元気!幼稚園から元気に帰ってきて今はバナナをモリモリ食べてたよ!」と言ってみた。笑うかなと思ったけど、相変わらず泣いている。
何度も慰めても相変わらず泣いてるので、これ以上は辛気臭くなるのは避けたいと思い、「そんなにkaboちゃんが心配なら、お手紙書いてみる?」と言ったら「うん」とうなずくので、ベッドを起こしてテーブルを近づけ、ノートを広げてみました。
文字を書く練習を自主トレーニングとして私は続けたかったんだけど、ここ数日は怒りモードで文字を書く練習すらさせてもらえなかったので、いい機会です。
相変わらずミミズの張ったような文字にならない何かをノートに書いてるけど、でも泣きモードからはすっかり気がそれたみたい(笑)
そうこうしてるうちに、実家の近くに住むお友達がお見舞いに現れました。
顔を見た途端、またもや号泣。まあこれは仕方ないですね。お友達もボロボロ泣いてました。
「元気になって良かった。ICUが長かったからみんなで心配してた。もう大丈夫だね!本当に良かった」と何度も言って、母と二人で泣いていました。
そんな感動的な瞬間に、またもや隣のベッドにお見舞いに来ているおじさんの声に反応しだす母。
隣のおじさんは奥さん向かって、「そろそろ帰るよ!大丈夫かい?また明日くるからね」と声をかけていて、それにいちいち母が返事をするというコントのような場面が始まってしまいましたw
私が母の友人に説明し、気が散るので他のところで行われている会話も気になって参加しちゃうんですよ~。その姿がもうおかしくておかしくて・・・と本気で笑っていたら、一緒になって笑いながらも、「この娘、親を笑いものにしてるよー」と言われてしまった^^;;
実は母の友人は私とそう変わらない年齢で私の1つ上の仲良かった先輩のお姉さんなんです。なので小さい頃から私の事も知ってるんですね。
先輩のお姉さんは一度は都内に出て行ったけど、両親が年を取ってからは実家に戻ってきてうちの実家のすぐ近所に親と同居されてるんです。なので母の病院へお見舞いに来てくれたのは自分ではで歩けない親の代わりに来てくれたのかなーと思いました。
そう考えると、パジャマを持ってきてくれた母の友人とか、その他もろもろ、やはり実家の方が母の友人がたくさんいるし、退院したら実家で介護した方がいいのかなと迷いが出てしまいます。
踏ん切りがつかな理由としては、古い家で廊下も狭く車いす移動は無理であること、寒いので温度管理が大変だと思う事、古い家なので地震の心配もあります。あと、最大の心配事が、父1人で母を看なければならないということ。気の短い自由人の父が果たして母を看られるのか・・・。
まあ今考えても仕方のないことなので、リハビリ病院に転院してからじっくり考えていこうと思ってます。